<烏羽色の夜話>第 8夜:憎きかな 女体の如く 誘へども 何かと問はば 美の嘲笑ふ


文書、証書に花押(かおう)を記す人がいる。

 

花押とは、署名を図案化して署名の代わりに使うもののことをいう。

 

文書に花押を押したり自筆の署名をしたりして、文書を特定化したり格式を上げたりする文化は、日本に限らない。

 

特に、日本語には同音異義語が多いため、文字として書類に残す拘りが強く、花押に限らず、几帳面に「署名捺印」「記名押印」の習慣が根強い。

 

花押には、どこかに美意識が入る。

己を特定化するものであるゆえ、格式を持ちたいという意識が働くのか。

そこで働く己の署名は「美しくありたい」とする「美」とは何か。

 

「美とは何か」などと大上段に構えて、その答に挑もうとすると、いつも途中で行き詰まる。

その問いを問うことの意義すら分からなくなってくる。

 

女を縛ることを「美しい」などとその意味を説明することもなく気楽に言う者がいる。

緊縛は「芸術」であると言う者すらいる。

本当に「美」があるのであろうか。

もしもそうであるならば、その「美」とは一体何なのであろう?

 

「縛り」は人を、女を傷つける。(傷つけない縛りなどない)

人を傷つけて存在する「美」とか何か。

もしもそうのような「美」があるとすれば、その「美」とは何か。

 

平気で人を傷つける「拷問」にも「美」があるということか。

では、奴隷の身体に、女の身体に焼きつける「焼き印」にも「美」があるとうことなのか。

延いては、残虐行為一般にも「美」があるということなのか。

 

結局、「美」とは何かが分からぬ故に、関連する問いは派生していくのみ・・・

 

これは世の中の諸々のことに言える。

一つの問いに答えられなければ、問いは増えるばかりとなっていく。

 

そう思いながら今日も佇む。